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人生最大の後悔ってなんですか?市井の人たちに聞いてみた
2015.11.30

頭を抱える男

 後悔のない人生など、たぶんない。誰しもがときどき振り返る。あのときどうして、あんなことをしてしまったのか。どうして、しなかったのか。なぜ……、なぜ……。聞いてみたい。人は何を悔いて、生きているのだろう。

 

すぐにヤラせないから大事にしたい

 高峯さん(仮名)とは、新宿の小さな飲み屋で知り合いその場で話を聞かせてもらうことになった。都内の健康機器メーカーに勤める36才。奥さんと小学生の娘が一人。平凡ではあるが、その平凡さがうらやましくなるような穏やかな男性だ。

 

「人生最大の後悔ですか、うーん」

 15分ほども考えた末やようやく

「一つだけと言えば、あれですかね」

 あれ、を説明するには、少し前置きがいる。彼が大学を出て会社に入社したころ恋人ができた。都心のクラブで知り合ったA子さんだ。

 

 ナンパきっかけの付き合いは概してすぐに終わりがちなものだが、不思議と交際は続いた。それはA子さんの性格によるところが大きい。知り合って2カ月も身体を許さなかった身持ちの堅さが、大事にしたいと思う気持ちを募らせたのだと彼は言う。

「すぐにヤラせるような女って、やっぱりすぐに捨てるでしよ、男って」

 すぐにヤラせない女は捨てられにくい。その法則のおかげで、幸せな日々はしばらく続いた。

 

結婚するならあの子が正解だったんじゃないか

 後悔の1日は交際から1年後、二人共に24才だった夏に訪れる。

 その夜、いつものようにセックスを始めようとした彼は、コンド−ムの箱が空箱なことに気がついた。どんな日であろうと装着する。

それが堅い彼女と、惚れた彼との約束事だった。

 しかし、その日に限り、彼女は

「いいよ」

 つまり着けなくていい、と。

 彼女の真意がどこにあったのか、この時点ではわからない。わかるのは、セックスを終えてからだ。彼は迷った。いいのか。ならばやっちまうか。でも妊娠したらどうする。まだ俺、24才なのに。

 しばし後、コンビニに走った。ナマが抱える様々な怖さに負けたのだ。

 あのとき思い切ってナマでやってれば…。彼の人生における最大の後悔はそこだ。

 いつもと同じセーフティーな営みの後、彼女は言った。

「子供できたら結婚すればいいし」

 やはりそうだったのか。安全日だからではなかったのだ。助かった。まだ結婚なんてする気はないし。ホッ。なぜこれが後悔になるのか。そう、今となってみれば、あの彼女と結婚しておくべきだったと彼は悔やんでいるのだ。

「ヨメさんに不満があるわけじゃないけど、何か違うって感じはずっとあるんですよ。でもあのときの彼女は美人じゃないけど性格がピッタリ合ってた。結婚するならあの子か正解だったんじゃないかって」

 生セックスが即妊娠となった確証はない。妊娠が即結婚となった保証もない。

 でも、もしあの日、「いいよ」の言葉に甘えていれば、二人の結びつきはより強くなり、後に些細な喧嘩で別れるようなことはなかったのではないか。いつかは結婚していたのではないか。そう彼は振り返る。

「でも今、娘さんもいて幸せじゃないですか」
「そう、幸せではあるんです。でも、もっと幸せな人生もあったかもしれないって。そういうもんですよね」

 

本番でまんま同じ問題が出た

 牧田さん(仮名35才)は、オフィス什器専門のリース会社に勤めるサラリーマンだ。

 収入は同年齢の平均より少し低い程度だが、一人暮らしのため、そこそこ不自由のない生活を送っている。

「いや、この歳なら結婚してなきやと思いますよ。田舎の親もうるさいし。いやー、大学を間違ったからなんですよね、こうなったのは」

 進学先の後悔はよくありがちだ。私も法政でなく東大を出ていれば今ごろは高級官僚だったろう。いや、それは後悔ではなく、夢想か。あまりに現実味がない。

 牧田氏の後悔は、やはり後悔と呼ぶしかない種類のものだ。

 高校3年の秋、彼は東京六大学のひとつ、明治大学を志望していた。早稲田や慶応はムリだけど、明治ならなんとかなりそうな気がした。模試の判定でも合格確率は50%と出ている。

 なにがなんでも明治。そう意気込んではいたものの、思ったほど学力は上がらず、冬になっても合否判定は五分五分のままだった。

 そこで彼は、受かっても行く気のない滑り止め、いわゆる肩慣らしの意味で、偏差値的には2ランクほど下のT大学を受けることにした。

 後悔の出来事は、そのT大入試の前日に起きる。

 多くの受験生同様、彼も大学近くのビジネスホテルで翌日に備えていた。そして持参していた日本史の参考書をなにげなく、本当になにげなく開き、さらっと目を通した。

「そしたら、本番でまんまそのとき見た内容の問題が出たんですよ」

 試験会場ではもちろんラッキーを喜びこそすれ、悔やみなどしない。

 

いっそのことT(大学)にも落ちてれば良かった

 T大入試では、英語も国語もあまりできなかった。日本史はその問題周辺の数問が解けた。当然、不合格だと思ったら、これが受かっていた。

「あの日本史で受かったと思ってるんですよ。まあ、もちろんそうとは言い切れないですけどね」

 明治はどの学部も、受験したその日に落ちたことがわかった。ロクに解けなかったのだから。

 

 さてどうするか。浪人してでも明治。かつてはそう意気込んでもいたが、すんなり入学させてくれる大学が目の前にある。これから予備校で1年間、本当に自分は頑張れるのか。

 少し悩んだだけで、T大の入学手続きを取った。

 その後は、劣等感を抱きながら5年間(一年留年)の学生生活を送り、就職先も希望とまったくかけ離れた会社を渋々選ぶこととなった。

「いっそのことT(大学)にも落ちてれば良かったんですよね。いやでも浪人しなきゃいけないんだから。そういう意味で、あの前日の参考書がポイントなんですよ。なんであんなぺージを開いちゃったのかってね(笑)」

 

 もし明治だったら、銀行や商社などに進んで結婚も…。可能性としてなくはないだけに、悔やむ気持ちはわかる。私の東大妄想とは別次元だ。

 

見よう見まねで走り高跳びに挑戦

 新宿の中央公園。ベンチの端っこに座っていた浅黒いホームレスのオジサンに話を聞いた。

 青森出身の園田さん(仮名52才)がこの公園にやってきたのは1年前のこと。その前は西口の地下通路、その前は上野公園、さらにその前は隅田川沿いと転々としてきた。ホームレス生活は、通算で5年以上にもなる。

「いちばんの後悔かぁ。そうだなぁ。あれがなきやどうなってたかなぁ」

 懐古は40年以上も前の少年時代にまでさかのぼる。

 小学生時分の彼は、普段から冗談を言ったり、ふざけて友達にイタズラをしては先生からゲンコッをもらうようなお調子者キャラだった。勉強はからっきしダメだったが、鉄棒だけは得意で「手を伸ばしてぐるぐる回るのもできたからな」だそうだ。

 そんな小学5年生のある日、園田少年は友だちと一緒に、グラウンド隅の倉庫から分厚いマットを引きずり出していた。

 

 続いて、高飛び用のスタンドとバーを設置し、準備は完了。見よう見まねで、走り高跳びに挑戦しようとしたのだ。

 第一走者、お調子ものの園田少年は、真正面からバーに向かって疾走しそして飛んだ。右膝がバーにぶつかった。

 

設置のしかたを尋ねようと一瞬思った

 その数分前、用具を設置するとき、グラウンドの端に教員の姿があった。設置のしかたを尋ねようと一瞬思ったことを、ホームレスとなった今も彼は覚えている。

 でも結局は自己流で設置した。スタンドの向きが本来と逆だった。構造的に、これではぶつかってもバーが下に落ちない。

「どうして先生に教えてもらわなかったのかね。聞いてればあんな大怪我にはならなかったね」

 半月板が断裂し、そのまま手術となった。松葉杖生活が数カ月、そして痛みが消えてからも、ぎこちない歩き方を強いられた。

 かくしてクラスのお調子者につけつけられたあだ名は「ビッコ」。ゆるやかなイジメに、彼はしだいに傷つけられていく。

 急に内気になった彼のことを救う友人はいなかった。だから自然と、自分から孤立するようになった。小学校でも中学校でも、高校でも、親しい友人はできなかった。

 卒業後、清涼飲料の工場で働き始めたものの、単純作業を繰り返す毎日に嫌気がさして2年も経たぬうちに退社。上京して仕事を探したが、単純作業を繰り替えす工場仕事しか見つからず、嫌気が差しては辞めを繰り返すうちに、働く気力すらなくなってしまった。そしてホームレスヘ。

「こうなったのは俺が怠けたからなんだけど、どうして怠けたかってことだよ。怪我してなかったらこうはなってないはずだもんね」

 

 

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