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大脱走!熊本刑務所脱獄犯 その全貌を語る(後編)
2015.11.4

刑務所

 

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▼ロープ

 いつものように運動時間に吉田と顔を合わせた私は、冷静に切り出した。脱獄には彼の協力がどうしても必要だった。計画を聞き、吉田が念を押すように問いかけてくる。

 

「本気か?」
「うん、もうここいるのはウンザリなんだ」

 

 しばし間を置いて吉田は呟いた。

 

「ふーん、じゃオレも一緒に行こうかな。ヤクザは辞めるわ」

 

 その返事を待っていたわけではなかったが、逆に驚きもなかった。ここへ来る以前、殺人で13年の刑に服し、今回も11年の懲役を食らった吉田のこと、ヤツもまたすべてにウンザリだったのだろう。衛生夫でない彼をどう連れ出すかは難儀だが、同じ42工場同士、どさくさに紛れてどうにかするしかない。

 

「わかった。一緒にやろう。それでこの計画にはジーパン生地が必要なんだ。調達できるかな?」

 

 脱走の最終段階で塀を乗り越えるには、4メートル以上のロープが必要だった。吉田が働くのは洋裁工場なので、いくらでも布きれが手に入る。それもエプロン製作に使用するジーパン生地だ。何個かつなげれば、頑丈なロープになる。

 

「おれが工場を歩き回りながら近づくから、こっそり布きれを渡してくれ」

 

 数日後、工場内でロッカーの整理をしていると、吉田が目で合図を送ってきた。布を渡す準備ができたらしい。

 

 何食わぬ顔でヤツのミシン台に向かった私は、足下に視線を落とした。1メートル大のジーパン生地が数本、床の上に積まれている。看守がよそ見したタイミングで布の束を作業着に隠し、その足で保管のため倉庫へ向かう。南京錠を強引に開けて中へ。確認すると布は全部で9本。どれも縫製がしっかりしている。結び合わせば十分ロープとして使えるだろう。針金も確かにあった。他にも廃品や廃材がところ狭しと積み上げられている。看守が布切れを発見したところで不審に思うはずもない。まさに「木は森に隠せ」だ。

 

 

▼フック

 例の脱走失敗事件から得た教訓、それはロープ先端に付けるフックに関してだ。大きな釣り針のようなものを振り回しても、短時間で塀に引っかけることが困難なことをあの事件は教えてくれた。

 

 そこで私は考えた。先端をコの字型に曲げた鉄製の棒にあらかじめロープを結わえておき、その棒ごと塀の上部に引っかけるのはどうだろう。これなら瞬時にロープを張れるじゃないか。

 

『先端がコの字型に曲がった長い棒』、そんなおあつらえ向きのものは工場内にはない。

 

 

 しかし材料ならある。扇風機と物干し竿だ。工業用扇風機の足の部分は、カメラの三脚のような形になっており、太めの鉄パイプでできている。それをコの字型にねじまげて、食堂の物干し竿とつなぎ合わせればいいのでは?

 

 何も完全に接合する必要はないのだ。フックが物干し竿に乗っかる形にさえなればいいのだから。我ながら上出来なアイデアだ。

 

 さらに塀の向こうに下りるときのため、洗濯ものを干すときのヒモもつないでおこう。なにせ塀の高さは4メートル。まともに飛び降りて骨折してはシャレにならない。

 

 

▼タイミング

 看守には好印象を持たれ、受刑者たちからはイジメを受ける日々を送りながら、私は脱走計画の最重要ポイントを何度も練り直した。

 

 ルートは決まった。道具も決まった。残るは決行のタイミングだ。タイミングとはつまり、いかに看守の目をかいくぐりドアを解錠するかに尽きる。

 

 まずドア1の解錠は、工場の作業が終わるときの、わずかな混乱時間が使えるだろう。毎日、工場の作業はピッタリ時間通りに終了する。

 

 4時15分 作業中止
 4時25分 点呼
 4時30分 房に戻る

 

 という流れだ。4時15分から25分までの10分間は諸々の後片付けでフロアが騒がしくなり、看守の監視も緩む。これに乗じてドア1を突破するのだ。逆にいえば、点呼までに脱走を終えないとアウトである。

 

 ドア2、ドア3は、41工場が留守のときを狙うことに決めた。入浴日だ。

 

 受刑者の入浴は週2回、午後3時から15分ずつ、工場単位で行われる。全部で12ある工場がA、B2つのグループに分かれ、それぞれ別の日に風呂に浸かる決まりだ。月木がAなら、火金がBといった具合に(週によって曜日は変動する)。

 

 肝心なのは、入浴後の受刑者は作業に戻らず、各舎房に帰って休める点だ。これによって、ある状況が生まれる。41工場と42工場は別グループなので、41工場の入浴日は、2階は作業中なのに1階はもぬけの殻という時間帯ができるのだ。

 

 入浴タイムは、先頭の工場が3時からで、最終が4時15分から。よって41工場の入浴日は、遅くとも4時15分以降は1階が“確実に”無人となるのだ。つまり、ドア2とドア3は誰にも怪しまれることなく解錠できる─。

 

 完璧、と思える計画だが、まだ不安材料がある。塀の外にいる『外掃(がいそう)』の存在だ。仮釈放が決まった受刑者が毎日、看守の引率付きで刑務所の外周掃除をしているのだ。うまく塀を乗り越えても、そこに外掃がいれば元も子もない。はたして夕方のその時間、彼らはいるのかいないのか。

 

 しかし、そんな不安は吉田にはまったくないようだった。

 

「仮釈の連中のことはわからんけどな」
「そうだよな」
「でも外掃も作業時間の一種なんだから、4時15分には終わってんじゃないのか」

 

 ヤツのある意味ポジティブな考え方は、心配性の俺にはうらやましくもあった。

 

 

▼吉田のメンツ 

 その吉田が、計画から抜けることになった。怖くなったのではない。同房の人間と揉め事を起こし、相手を刺し殺すと言いだしたのだ。むろん必死になだめはした。

 

「我慢しろよ。そんなことしたら計画がパーじゃないか。考えなおせ。な?」

 

 しかし、彼はやはり根っからのヤクザだった。

 

「悪い、山やん。ここで引いたらおれのメンツに関わるんだ。脱獄はお前1人でやってくれ」

 

 極道に男のメンツを口にされちゃ、これ以上引き留めるわけにはいかない。私は黙り込むしかなかった。

 

 宣言どおり、吉田がケンカ相手の左胸にアイスピックを突き刺したと聞いたのは、それからまもなくのことだ。幸い、相手の男は致命傷を免れ、吉田は殺人未遂の罪で刑が加重され、隔離房行きとなった。

 

 工場での作業も運動もない、独房生活である。脱走計画になど加われるはずもなかった。

 

 私はひとりきりになった。

 

 

▼道具

 諸々の予定が決まれば、あとは道具を作成するのみだ。衛生夫として日々の雑役をこなしながら私は、少しずつ着実に道具計画を進めていった。

 

 まず倉庫内で、例の布キレを結び合わせロープが完成。さらに合い鍵は、階段掃除の時間を利用して作成した。

 

 掃除の名目でドア1開けさせると、看守はすぐに自分の席に戻る。そのスキに階段を下りて、ドア2の鍵穴に針金を突っ込みながら形を調整していくのだ。

 

 これが意外と手を焼いた。目に焼き付けた歯の形を思い出しながらの作業なので効率が非常に悪いのだ。作業時間も極端に短い。階段掃除もちゃんとやりながらのことだからせいぜい5分程度だ。

 

 合い鍵が完成したのは89年3月下旬だった。ドア1ドア2が共に開くことは確認済み。ただしドア3だけは、場所の都合上おいそれと近づくのは危険なので、実験できなかった。同じ形だと信じるよりない。

 

 フックの作成は後回しにすることにした。物干し竿は食堂で実際に使っているため、紛失すれば大騒ぎになるし、扇風機は倉庫に置いてあるものの、モノが大きいだけに脚部を外せば破損が目立つ。これだけは脱走直前まで放っておくとしよう。

 

 

▼静観と焦り

 私は、4月が来ても5月に入っても静観を続けた。このころ私は脱走の条件として「雨天」を加えていた。理由は単純。逃げた先で、体臭を目立たなくするためだ。風呂に週2回しか入れぬ受刑者の体は相当臭う。脱走後、一般人に不審感を与えぬため、また警察犬の鼻を鈍らせるため、雨は心強い味方になるはずと考えたのだ。

 

 41工場の入浴日と雨の日が重ならなかったり、看守の態度に不穏な気配を感じたりと、なかなかチャンスはやってこなかった。正直なところ、非常にナーバスになっていたというのもある。チャンスは一度きり。しかもイチかバチかではなく、絶対に失敗の許されない挑戦である。気力も体力も含め、あらゆる条件が揃ったときでなければ動けやしない。

 

 やがて6月になり、倉庫から扇風機が出された。このまま8月一杯まで工場内に涼風を送り続けることになる。つまりこの夏の3カ月間は、足の取り外しは無理だ。決行は秋以降になった。親しい受刑者の1人から不穏な噂を聞いたのは、8月ももうすぐ終わろうかというある日のことだった。

 

「山やん、お前、衛生夫を外されるかもしれんぞ」

 

 私の前任者である元・衛生夫の男が返り咲くというのだ。看守同士の立ち話を誰かが偶然、耳にしたらしい。血の気が引いたのは言うまでもない。その話が本当なら、これまでの努力がすべて水の泡だ。あの脱走計画は私が衛生夫だからこそ成り立っているのだから。

 

 かといって、決行を早めようにも、倉庫に片付けられる9月まで扇風機は分解できない。気だけが焦る。吉田、俺、ムリかもしんないよ。

 

 9月になるや、私はすぐ作業に取りかかった。倉庫に潜り込み、扇風機本体から抜き取った脚部を棚に置き、力任せにコの字に折り曲げる。よし、フックは完成した。衛生夫解任の知らせは、まだ届いていない。

 

▼決行

 これという日になかなか巡り会わず、焦りも頂点に達していた10月13日、ついに決行日の当たりがついた。新聞の気象図を読む限り、3日後の16日から4日間は、雨模様が続きそうなのだ。

 

 41工場の風呂日は16と18である。私は18日をXデーと決めた。Xデー2日前の朝、曇り。いつものように工場で始業の準備に取りかかろうとした矢先、看守が言った。

 

「えー本日は剣道防具工場の移転のため、工場の整理を行う。迅速に行動するように!」

 

 秘密保持の性格が色濃い刑務所ではこういったことは珍しくないが、私は1人頭を抱えた。防具工場が移転となれば、二度と42工場へ戻れなくなる。脱走の道具はどうなる?

 

 午後4時すぎ。工場内はてんやわんやの状態になっていた。受刑者があちこち歩き回っているだけでなく、新たなミシンを設置するため、民間の業者までやってきたのだ。その対応に追われ、看守も右往左往している。

 

 4時15分。窓の外を見ると、雨が降っていた。

 

 天の声か?(今日だ!)

 

 思うまもなく体が動いていた。倉庫から脱走道具一式を入れた袋を取り出し、ドア1を解錠。階段を下りる。幸運にも今日は16日、41工場は風呂に行って誰もいない。

 

 ドア2も解錠。続いてドア3だ。ここが開かなければすべては終わる。頼む。開いてくれ!

 

 

 カチャ。

 

 

 読みは当たっていた。いったん2階に戻り、食堂の物干し竿を持って、再び階下へ。逃亡発覚を遅らせるため、ドア2を外側から施錠する。

 

 外へ出て、小雨の中を走る。周囲に人影はない。フックに物干し竿を突っ込み、慎重に壁の上部にかけ、ロープを伝ってゆっくりとよじ登る。恐怖心はない。興奮も感動もない。ただ無心で塀を乗り越えるだけだ。

 

(飛べ!)

 

 半ば飛び降りるように、私は両足をシャバの地面に着地させた。その衝撃で、体がコロリと横に1回転する。

 

「おい、何やってるんだ!」

 

 怒声が耳に飛び込んできた。20メートルほど先で、制服の男がこちらを向いている。外掃の付き添いをしていた看守だった。おいおい吉田、コイツらまだ帰ってなかったぞ。

 

「おいコラ! 止まれ!」

 

 全速力で逃げた。が、ムショ生活でなまった体では、いつまでも走れない。いつのまにか追っ手はドッと増え、後ろだけでなく右や左からも迫ってくる。

 

 民家の庭先にシートのかかったバイクが止まっていた。思わず、その中へもぐり込んだ。脇腹を地面につけ、涅槃のポーズでバイクに密着する。耳に飛び込んでくるのは大勢の靴音と男たちの恐ろしい声だ。

 

「どこいった? 探せ探せ! まだ近くにいるぞ!」

 

 私はこのままの体勢で、その後13時間も、身を潜め続けた。シートの中で身じろぎもせず、まるで仏像のように。

 

▼そして再び

 深夜3時、ようやく辺りが静かになったところでシートを出た。周囲は無人だ。捜索はいったん打ち切られたらしい。一安心した私は、その後、住宅街を歩き回り、留守宅のアパートにもぐり込んだ。これしきの芸当、元・空き巣犯にとっては朝飯前である。

 

 よほど疲れていたのだろう、目覚めるとすでに昼近くになっていた。何気なくテレビにスイッチを入れてみる。

 

【このような不祥事が起きまして誠に遺憾であります】

 

 熊刑の所長の顔がデカデカと映っていた。ようやく脱走の実感が湧いてきた。これほど愉快な気分になったのは久しぶりのことだ。落ち着いたところでアパートの電話を借り、104で福岡の知人の番号を聞いて、迎えに来るよう連絡した。その日の深夜、知人と落ちあった私は、彼の車で一路博多へ。途中、検問は一度もなかったのはラッキーだった。博多で1カ月ほどブラブラしたあと大阪に出た。もう一度、人生をやり直すつもりだった。どんなツライことがあっても、犯罪だけはすまいと心に決めて。

 

 

 熊本刑務所へ舞い戻ることになったのは、脱獄から1年半が過ぎた91年3月6日のことだ。

 

 潜伏先の大阪で、たまたま拘置所時代の知人と再会してしまったのが運の尽きだった。誘われるまま窃盗を繰り返し、挙げ句、その男にチンコロを入れられ、御用となったのだ。

 

 久しぶりの熊刑では、看守たちから熱烈な歓迎を受けた。懲罰のオンパレードだ。当然だろう。前代未聞の脱走事件を起こし、連中に赤っ恥をかかせたのだから。

 

 再び脱獄してやろうという気は一度も起きなかった。あのとき灰色の塀を乗り越えたあの瞬間、私はとっくに完全燃焼していたのだろう。

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