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大脱走!熊本刑務所脱獄犯 その全貌を語る(前編)
2015.11.3

刑務所

▼入所の朝

 護送バスを降り周囲を見渡すと、いかめしい灰色の建物が無言の威圧感を放っていた。

 

 熊本刑務所。

 

 覚悟はできていたはずなのに、こんなところでこの先18年も過ごすのかと思えば深いため息が出てくる。

 

(生きてここを出ることはないかもしれんな)

 

 不吉な考えがちらっと脳裏をかすめたのは、逮捕後、拘置所で知り合った連中から刑務所内の劣悪な環境についてさんざん吹聴されていたからだ。

 

 冬は極寒、夏は酷暑。体調を崩しても休息は許されず、医者の診察を願い出てもなかなか許可が下りない。重病のまま放置され、気づいたときには手遅れに、なんて話も腐るほど聞いている。

 

 他人事とは思えなかった。もともと胃が悪い私のこと、いずれ胃ガンになる可能性は高く、もしそうなれば一巻の終わりだろう。

 

「よーし、いまから入所手続きを行う。全員、中へ移動!」

 

 看守の号令に従い、古びた建物に足を踏み入れたとき、ふと「脱走」ということばを思いついた自分が可笑しかった。鉄格子の窓から眺めた塀は、すでに散り始めた桜をバックに高々とそびえ立っていた。まるで、乗り越えられるものならやってみろと言わんばかりに。

 

 忘れもしない86年4月8日。私は36才だった。

 

▼転落

 1949年。団塊世代最後の一員として、福岡県飯塚市で生を受けた私は、中学卒業後、鉄鋼関係、自衛隊、カギ屋など、職を転々とした。どの職場も1、2年しかもたないのは、生来の飽き性ゆえだ。手先が器用で、人よりはやく仕事を覚えてしまうことも、モチベーションの減退に拍車をかけていたように思う。

 

 落ち着きのない暮らしぶりではあったが、22才で結婚し、3年後の息子誕生を機に始めたサッシ屋が大当たりすると、生活は見違えるように安定した。明るい家庭に人並み以上の収入。他人からみれば幸せな人生そのものだったろう。

 

 しかし、そんな幸福も酒と女にのめり込むまでの話だった。放蕩三昧の生活はまたたく間に家計を圧迫し、気がつけば貯金もほぼ尽きかけていた。絵に描いたような堕落ぶりである。

 

 こういう場合、普通の人間なら二者択一を考える。酒も女も止めてマジメになるか。あるいは借金してでも遊び続けるか。

 

 私はそのどちらも良しとしなかった。遊びはやめられない。かといって借金に関しては、知人の保証人になったおかげでずいぶん苦労した経験がある。あんなツライ思いは二度とゴメンだ。

 

 かくして私は、まるでそうする以外なかったかのように、ごく自然と犯罪に走った。金欠に苦しむ飲み仲間のひとりと手を組み、福岡県下で空き巣をくり返すようになったのである。

 

 最初のころは留守宅に忍び込み、現金や金目のものを失敬するだけだった。

 

 ところがある日、たまたま押し入ったアパートで住人の女性とかち合い、勢い、彼女をレイプしてしまったことから状況は一変する。強姦の被害者は心理的な理由から警察へ届けたがらないという事実に気づいたのだ。

 

 セックスと金の両方が一度に満たされ、なおかつ警察も動かないとなれば、犯罪内容もおのずと変わる。以後、私と相棒は1人暮らしの女性ばかりを狙い、強姦と強盗をセットに凶行を重ねていった。

 

 

▼熊本へ

 そんな犯罪生活が3年ほど続いた85年4月。その日の深夜、私はいつものように自宅から遠く離れた住宅街を1人で徘徊していた。次に狙うべき物件をチェックし、後日、相棒と襲うためである。突然、暗い路地裏から数人の警官が現われた。

 

「ダンナさん、ちょっといいかな。こんな時間に何してるの?」
「え、いや、ちょっと…」
「おい、ハッキリしろ!」

 

 ただの職質でないことがわかった。すでに県内で40、50件も犯行を重ねていたため、警戒線が張られていたのだ。バッグからナイフやドライバーが見つかったことで動揺は頂点に達し、シドロモドロになった私は、署の取調室であっさりと罪を認めてしまう。続いて相棒も、それからまもなく逮捕となった。妻とは留置期間中に離婚した。

 

 強盗、強姦、窃盗など18件の罪で起訴となり、86年2月、主犯格と見なされた私に懲役18年、共犯の相棒には13年の判決が下った。ともに初犯だったとはいえ、しでかした内容からすれば妥当な量刑なのだろう。いずれにせよ、私の運命は決まった。

 

 日本の法制度では、被告から受刑者に身分が変わると、いったん分類センターへ送られ、新入教育や面接を受けることになる。移送先の刑務所を決定するためだ。

 

 職員がチェックするのは、受刑者自身の犯罪傾向だ。初犯かつ暴力団などの反社会的組織に属していない者ならA級。累犯者や、初犯でも反社会的組織の人間はB級といった具合で、そのA級とB級を今度は刑の長短で振り分けていく。

 

 この説でいくと、私の移送先はLA級(L=懲役8年以上)を収監する岡山刑務所のハズだったが、なぜか実際はLB級の熊本刑務所に決まった。ヤクザでも何でもない私が「犯罪傾向・顕著」と見なされたのだ。この決定には私自身はもちろん、他の受刑者たちも首をひねった。

 

「お前みたいな大人しいやつがなんで? かわいそうに」

 

 私同様、相棒も熊本刑務所へ送られたあたり(後で知った)、よほど罪状に対する心証が悪かったのだろう。

 

▼工場と舎房

 86年4月8日。熊本刑務所(以下、熊刑)での生活が本格的に始まった。私が入ることになった雑居房には自分の他に先輩受刑者が5人いた。まずはきっちり挨拶せねばと、畳に手をつき自己紹介する。

 

「山本公一です。今日からお世話になりますので、みなさんよろしくお願いします」

 

 異様に目つきの鋭い男が、こちらに顔を向けた。

 

「おう。ま、ラクにしなよ」
「あ、はい」

 

 恐縮しながら部屋の隅に腰を下ろす。先輩たちは興味津々の様子で私の周りに集まった。

 

「何年打たれたんだ?」
「あ、18年です」
「結構長いな。まあ、頑張れよ」

 

 気さくな物言いにホッとするが、いずれも殺人や強盗など、普通に生きていればまず出会うことのない凶悪事件の犯人たちだ。今後何年も彼らと寝食を共にするとは、気が重くならざるをえなかった。

 

 あまり公にならない世界なので、ここで刑務所内部の仕組みについて少し説明しておこう。刑務所内は大きく「工場」と「舎房」に分かれている。大半の受刑者は昼間、各工場で働き、作業時間が終わればそれぞれ独居房なり雑居房なりで夜を過ごす。一般社会に例えれば、工場が職場で舎房が独身寮のようなものだ。

 

 ただシャバと明らかに違うのは、両者間の行き帰りに身体検査が行われる点だ。全員、素っ裸になり、よからぬモノを隠し持っていないか、看守が徹底的に調べ上げる。この検査をパスしない限り工場には入れないし、工場から出ることもできない。

 

 熊刑にはおよそ500人の受刑者がおり、それぞれが12の工場に分かれて作業をしていた。工場にはすべて2ケタの数字が割り振られている。十の位が『棟』を表し、一の位が『階』だ。熊刑の場合は、11〜13から41〜43と、1棟につき3フロアの工場があった(例外もあるが割愛)。

 

 各工場はそれぞれ製品や作業内容が異なり、本人の希望や適正が加味されて配置が決まる。私は過去に鉄鋼関係の仕事に就いていたので、金属加工工場(31工場)を希望したのだが、定員オーバーで第2希望の剣道防具工場(42工場)に回されることになった。約40名の作業員を擁する42工場内には、剣道防具の制作工場と洋裁工場が並存しており、私は防具の職工に就いた。牛革、布、竹といった材料を切り貼りして、面や胴を手作業で作る仕事だ。

 

 受刑者は作業中、勝手に動き回れない。看守は1人のみだが、トイレに行くにも、床に落ちた道具を拾うにも、いちいち許可が必要だ。ルールを破れば無断離席として懲罰を受ける。受刑者はいつなんどきでも監視下に。それが刑務所という世界だ。

 

▼友情

 4カ月、5カ月と過ごすうち、どうにかやっていけそうな自信が湧いてきた。想像よりも規律がユルイのだ。

 

 分類センターのあった福岡刑務所では、移動時に必ず隊列を組んで行進させられたのに、ここではダラダラ歩きが許されている。夏の暑い日は作業着を脱ぎ、上半身裸で仕事をしても怒られない。

 

 人間関係に恵まれたことも大きかった。LB級、つまりは凶悪犯が集まる熊刑では、ケンカ沙汰やイジメは日常茶飯だし、何度懲罰を食らおうが看守に盾突く猛者も少なくない。だが私のいた雑居房は、殺人者や強盗の集まりなのに、いや、だからなのか、互いの立場を尊重しあう自由な雰囲気があり、揉め事も滅多になかった。

 

「山やん、あんた身寄りがないんだろ? おれの方がここを早く出るから、出所したらウチにこいよ。面倒みてやるから」

 

 優しいことばをかけてくれたのは、とある抗争で対立組織の幹部を射殺したヒットマンだ。彼には熊刑での身の処し方やルールを教わり、本当に世話になった。

 

 中でも最も私が親交を深めたのは、同房の仲間ではなく、同じ42工場で洋裁工として働く吉田(仮名)だ。関東の極道で、殺人罪で懲役11年を食らったこの男。血の気の多さが玉にキズだが、同い年でなぜか妙に気が合った。ヤツと顔を合わせるのは、もっぱら「運動」の時間だった。毎日45分、受刑者は工場単位でグランドに出て思い思いに過ごすことが出来る。地べたに座って談笑しようが、将棋を指そうが自由だ。

 

 ある日、吉田が照れくさそうに言った。

 

「山やん、おれたち兄弟分にならねぇか?」
「おう、それいいな。じゃ、おれが兄貴分な」
「いやいや、兄貴はおれだろ。ははは」

 

 吉田の申し出がうれしかったのは、私自身、信用できる友人が欲しかったからだろう。

 

▼脱獄の必要条件とは

 ある日のこと。起床の合図で目を覚ますと、自分の体に異変を感じた。吐く息がやたらと熱く、頭も割れるように痛い。風邪を引いたようだ。こんな状態ではとても作業に出られないと判断した私は、即座に看守に申し出た。

 

「すいません。風邪を引いたみたいなのでクスリをいただけませんか?」

 

 しばらくジッと私の顔を見つていめた看守は、次の瞬間、信じられないことばを吐いた。

 

「そんなもの気合いで治せ!」
「じゃ、せめて今日は休ませてほしいんですが」
「ふざけるな!はやく工場に出ろ!」

 

 ここで病気になったら死ぬ。そう思わざるをえない出来事を、入所以来、私は幾度となく見聞きさせられた。虫垂炎になっても医者の診察許可が下りず、あわや死亡寸前のところまで追い込まれた受刑者もいる。

 

 コトが自分に及び、入所初日に思い浮かべた「脱走」の2文字がまた、頭を駆け巡った。もちろんあくまで願望に過ぎず、具体的な脱走プランがあるわけではない。

 

 ただ、私はひとつだけハッキリと自覚していた。脱獄を成功させるには「衛生夫」になることが不可欠だろうと。衛生夫とは、作業員の下着の洗濯、トイレ掃除、昼食の準備など、工場内の雑役を一手に担う役職で、通常は各工場に1人ずつ配置される。

 

 この仕事の利点は、モノを拾うにも看守の許可が必要な作業員と異なり、所属する工場内を自由に歩き回れることだ。2工場ならば、通路を挟んだ2つの作業場に加え、倉庫前の廊下や食堂もフリーパス。脱走用の道具を集めたり隠したりするには、この職しかありえない。

 

 むろん、簡単に就ける仕事ではない。衛生夫になるには模範囚であることが絶対条件で、なおかつ入所から4年ほどかかるのが普通なのだ。

 

 気長に待つしかない。もともと勤務態度はマジメだし、手先の器用さを活かした仕事ぶりにも定評がある。トラブルさえ起こさなければ…。

 

▼失敗した男

 刑務所暮らしが2年目に突入したころ、仰天ニュースが飛び込んできた。15分間の慌ただしい入浴を終えて房に戻ると、初老の受刑者が興奮気味に言う。

 

「おい知ってるか? 昨日、32工場のバカが脱走未遂をやらかしたんだぜ」

 

 たまたま工場の窓から一部始終を目撃したという彼の話はこうだ。運動時間中、グランドにいた男が、作業着の中から長いヒモをおもむろに取り出した。先端には金属製のフックのようなものが取り付けられており、男はそれを塀の上へ投げ込んだ。壁に引っかけてよじ登るつもりらしいが、なかなか上手くいかない。そうこうするうち、異変に気づいた看守が駆けつけ、男はあっさりと取り押さえられた─。

 

「忍者の真似事したって成功するはずないんだよな」
「……そうだな」

 

 数日後、塀の近くにある木がすべて切り取られた。もちろん脱走防止が目的だ。私は自分の他に脱走を企てようとした人間がいたことに驚いた。と同時に、事件からひとつのヒントを得たのだが、そいつを生かせるのはそれから数年後のことだ。

 

 

▼イジメ

 88年11月。念願の衛生夫に任命された。

 

 

 入所からわずか2年11カ月目。異例ともいえるスピード昇格の理由は、前任の衛生夫が不祥事を起こして解任となり、急きょ空席となったためだ。もちろんマジメな勤務態度が評価されたおかげでもある。

 

(第一段階クリアか…)

 

 あくまで第一段階であり、まだ具体的なアイデアも、そして脱走の明確な意志も頭にはなかった。ところが…。

 

 ある日、グランドで若いヤクザに声をかけられた。

 

「おい、いまオレの足踏んだろ」

 

 返事する間もなく、男のパンチが横っ腹にめり込んだ。

 

「ふ、踏んでねぇだろ」
「お前、初犯のくせに対等な口きいてんじゃねぇよ」 

 

 今度は右足を思いっきり踏みにじられた。看守があわてて飛んでくる。

 

「おい、やめろ!」

 

 なにがなんだかわからない。何の恨みがあって俺を。嫌がらせは続いた。いきなり殴りかかってくる者、聞こえよがしに陰口を叩く者。ある日など、雑居房から出るため靴をはこうとすると、中に残飯が入っていた。同房の人間の仕業だ。

 

「…………」

 

 顔を見合わせて、ニンマリ笑ってやがる。それもこれも衛生夫になったことが理由なのは明らかだった。新入り同然の人間が、工場内のエリート的な役職に就いたのが面白くないのだ。

 

 刑務所という世界では、一度イジメの標的になると出所するまで狙われる。そこから逃れるには…。もう、脱走しかない。

 

 

▼脱走ルート&3つのドア

 脱走ルートをどうするか。食事中も布団に入ってからも、私はひとり考え続けた。映画ではよく、独居房の壁にコツコツ穴を空けるヒーローが登場するが、私のいるのは雑居房であり、人知れず作業することは不可能である。なにより穴を空ける手段などない。

 

 やはり考えつくのは、例の失敗者が試みたのと同じく、ロープを使ってグランドの壁を乗り越える方法だけだ。ただし「運動」の時間は看守の目が厳しすぎる。夜間に房から抜け出すなんてのも夢物語だ。スタート地点は42工場でいいだろう。衛生夫の特権を生かして、まずは42工場の外に出る。階段を下り41工場の脇を通過する形で、建物の外へ。15メートルほど先に高さ4メートルの塀があるので、ロープを使って突破。こんなところか。

 

 ただしこれは、さほど容易なプランではない。建物の外へ出るには、カギのかかった3つのドアをこじ開けねばならないのだ。

 

 突破法はただひとつ、カギ屋時代の経験を生かし、針金で合い鍵を作るしかない。針金が工場内の倉庫に保管されていることは、以前から知っていた。前の衛生夫が中から取り出すのを見たことがある。

 

 倉庫ドアには南京錠がかけられており、衛生夫といえど看守の許可なしでは入れないのだが、U字型の金属部分を力いっぱい上に引っ張り、本体を殴りつければ簡単に開くことはカギ屋の常識。潜り込むのはわけない。

 

 以来、私は看守が各ドアにどのような鍵を使うか、こっそりと観察した。

 

「階段掃除をします。ドアを開けてください」
「よ〜し!」

 

 衛生夫として不自然のない申し出をし、素知らぬ顔で看守の手元を見つめる。ドア1の前で、看守が鍵束から取り出したのは「棒鍵」だった。よく海賊が宝箱を開けるときに使うようなクラシックな代物で、歯の形状も実にシンプルだ。(これなら作れる)

 

「洗濯物を干しに行きます。ドアを開けてください」

 

 洗濯干し場は工場の外にあるため、そこへ行くにはドア2とドア3を抜けねばならない。

 

 看守が2つのドアに立つたび、注意深く手元を覗きこむ。使われた鍵は、ドア2もドア3も、ドア1とまったく同じ形状だった。よもや3つのドアは1本の鍵で開閉されているのでは?

 

 幸運すぎると言っていい。合い鍵1本で外に出られるとは。熊刑よ、ちょっとアマくないか。

 

 

後半はコチラ

 

 

 

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